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- 2018.12.29 Saturday
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JUGEMテーマ:滋賀県
江戸時代中期の儒学者・雨森芳洲をご存じでしょうか。
22歳の時に対馬藩に仕え、それから88歳まで、生涯 朝鮮との外交に尽力した人です。
今年は、雨森芳洲生誕350年になります。
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国道1号線の土山辺りに「頓宮」という交差点があります。
そこに平安時代の「斎王」が、京都から伊勢へと向かう途中にお泊りになられた「頓宮跡」があると聞いたことがあります。
20年ほど前から、お祭りイベントとして「斎王群行」が行われていると新聞で読んだ事もあります。
「頓宮跡」とはどんなものか、通りかかりにちょっと気になって交差点を曲がってみました。
しかし・・どこにあるの?
私はてっきり田んぼの中に大きな碑が立っていて、遠目からでもすぐ分かると思っていたのですが。
田んぼや民家の周りをクルクル回り、元の国道に出て戻り、もう一度交差点に入り、ようやく見つけたのがこれ。
「文部省」と書いています(^^♪
これだ!
JUGEMテーマ:滋賀県
先日(2018年7月1日)、守山市にある「大庄屋諏訪家屋敷」が復元・整備されてオープンしました。
オープン当初は混雑するかな?・・・と思って待つこと一週間。
昨日、行って来ましたぁ〜
ご覧のように静か〜
貸切り〜(^^♪
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彦根藩井伊家の歴代藩主の中で、一番有名なのはこの方でしょう。
井伊直弼公像 (金亀児童公園にあります)
「井伊家ゆかりの社寺めぐり第六番」は、そんな直弼が17歳から32歳まで過ごした「埋木舎」(うもれぎのや)です。
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「近江神宮前」より京阪電車に乗って「石山寺」下車。
徒歩10分くらいで「住友活機園」に到着しました。
「住友活機園」とは、住友2代総理事・伊庭貞剛が、明治37年(1904)引退して住んだ邸宅です。
「活機」という名称ははあまり聞きなれない言葉ですが、禅宗の思想で「俗世を離れながらも人情の機微に通じる」という意味をもつそうです。
半年ほど前、ブログ仲間のUさんがこの「住友活機園」を訪れ、その素晴らしさを記事に書いておられました。
これは私も行きたい!
ところが、年に一回しか公開されないとか・・・
ならばその機会を逃さないぞ〜にと連日のようにHPをチェック。
ようやく「春の一般公開」の文字を見つけて応募ハガキを送りました。
これは、もはや執念?
そして迎えた見学の日、2018年5月25日。
JUGEMテーマ:京都
ゴールデンウイーク中に京都へ行った時、渉成園にも寄って来ました。
渉成園の高石垣
渉成園は、東本願寺の別邸で「枳殻邸」とも呼ばれます。
名前の由来となった「枳殻(カラタチ)」の開花時期は4月中旬〜下旬。
この日は4月末だったけど、花はすでに「実」になっていました。
今年の開花は早かったようです。
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4月の初旬に犬山市に行って来ました。
その時に泊まったホテルの敷地に「有楽苑」というお庭があり、割引券をもらったので(^^♪、行って来ました。
「有楽」と言えば、そう織田信長の弟「織田有楽斎」の事です。
信長と13歳も齢が離れていたためか、あまり武勇の話は聞かないのですが、しかし茶の湯の世界では自ら茶道有楽流を創始するという大茶匠で、晩年には武家を棄て、京都建仁寺の正伝院を隠棲の地としました。
この有楽苑には、京都建仁寺から各地を転々とした後、この地に移築された有楽斎ゆかりの「正伝院書院」と茶室「如庵」があります。
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びわ湖には「沖島(おきしま・おきのしま)」「竹生島(ちくぶしま)」「多景島(たけしま)」「沖の白石」という4つの島がありますが、恥ずかしながら私は滋賀県民なのに「竹生島」しか行った事がありません。
今回「多景島」が井伊家ゆかりの島ということを知り、これはいい機会と喜び勇んで島に行って来ました。
乗った船は・・
もちろん「赤備え船 直政」
もうこれだけでもテンションがあがります(^^♪
彦根港からいざ出陣(^O^)/
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1年余り前の新聞に「彦根には今も足軽屋敷が多数残る地域があり、地元のまちづくり運動として保存活動が起こっている」というような内容の記事が載っていました。
彦根に行ったら立ち寄ってみよう・・そう思って、その記事を切り取っておきました。
そして先日、彦根に行く事があり、用事も早く終わったので、足軽屋敷が残る「芹橋二丁目」に立ち寄りました。
そこは観光客で賑わう「夢京橋キャッスルロード」から昭和新道を渡った場所で、人通りも少なく、城下町のもっとも外側というイメージの場所でした。
このように車一台がようやく通れる狭い道の両脇に、幕末期には善利組700戸の足軽屋敷が建ち並んでいたそうです。