JUGEMテーマ:国内小旅行


カーナビの指示通り車を走らせていたら、四万十川から横道にそれ、山を越えて海辺を走り・・・
いったいここは何処?と思って周りを見渡すと「ジョン万次郎資料館」の案内表示が目に入りました。

そっか・・この辺りはジョン万次郎の出身地なのですね。
予定にはなかったけれど、せっかく通りかかったので寄ってみる事にしました。


ジョン万次郎資料館の隣地にあった「萬次郎少年像」



 


この像は、万次郎が無人島に漂流して、仲間4人とともに助けを求めている情景を表しているそうですが・・

え・・漂流したのは5人一緒だったのですか?
みんなでアメリカに渡ったの?
じゃ、なぜ万次郎だけが有名になったの?

知らない事ばかり・・(*_*;



案内板を読んで、少しずつ謎が解けてきました。

ジョン万次郎が漁船に乗り、仲間とともに足摺岬南東15km程の沖合で操業していた時に、突然強風が吹き荒れて船が流されたそうです。
その時万次郎14歳、初めて漁師として船に乗った日の事でした。

そして5日間漂流してたどりついたのは無人島。
これは現在の伊豆諸島の「鳥島」だそうです。

さっそく地図で調べてみたのですが、足摺岬からう〜〜〜〜んと離れていますね(@_@)
よくもまあ、船が転覆しなかったものです。

九死に一生を得て島に上陸したと言っても、そこは無人島。
さぞかしサバイバルな生活が待っていたと思います。
しかも143日間も・・よく耐え抜いたものです。

そして米国捕鯨船ジョン・ハウランド号(船長ホイットフィールド)が島の近くを通りかかり、上記の像のように必死に助けを求めたのですが、気づいてもらえず、仲間の誰もが諦めたそうです。
でも、万次郎ひとりは諦めずに島を3kmも走り、船に合図を送り続けたといいます。




捕鯨船に救助された5人は、寄港したハワイで降りたのですが、ホイットフィールド船長は、5人の中でも一番若く活動的で知恵がある万次郎を気に入り、また本人の希望もありアメリカへ連れて行ったそうです。

当時日本は鎖国政策をとっていたため、残る4人は日本へ帰る方法もなく、ハワイに滞在しました。




では、資料館に入ります。



内部は、ジョン万次郎が暮らしたホイットフィールド船長の自宅を真似たエントランスなどがありましたが、写真はNG。

唯一、記念写真用にアメリカでの生活を彷彿とさせるセッティングがありました。

また、万次郎の生涯を資料や映像で紹介したり、船の模型展示などもありました。



さて万次郎はホイットフィールド船長の自宅があるマサチューセッツ州フェアヘーブンで暮らし、16歳で小学校へ、そして17歳で専門学校へ進学しました。
そこで航海術、測量術などを学び、19歳から捕鯨船に乗り、21歳には一等航海士となり副船長を務めたそうです。

教育を受けて、仕事を得て、これでアメリカ社会で生きていく基盤ができたのですが、しかし万次郎の最終目標は「帰国」でした。
日本で暮らしている病弱な母と兄が心配だったのでしょうね。


万次郎は、さらに帰国資金を稼ぐためゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに向かい、金鉱で600ドルを入手したそうです。

そしてその資金を持ってハワイの仲間を迎えに行き、小舟「アドベンチャー号」を買い求めて、小舟とともに上海行きの商船に乗船しました。
この時万次郎は23歳。

(ただしハワイに滞在していた4人のうち一人は死亡、一人はハワイで永住を希望したため、3人で出港したそうです)


商船が日本近海に差し掛かった時、3人は船から降りてアドベンチャー号に乗り換えて島に上陸。
そこは当時薩摩の統治下にあった琉球でした。
しかしこの時、同じ日本でも、土佐と琉球の言葉では全く通じなかったそうです。

その後薩摩・長崎を経て土佐にたどり着き、中浜に帰郷して母と再会した時には25歳になっていました。
さぞかし感激の対面だった事でしょう。

さらにこの後も、アメリカの言語・文化・知識をもっている日本人として、幕末に大活躍をした事は言うまでもありません。
どんな苦難に遭遇しても前向きに人生を切り開き、決して諦めず、仲間を大切にした万次郎って立派ですね。




この近くの「中浜」地区に、万次郎の生誕地があるそうです。
行きたくなりました。

また予定変更です(笑)









 

  • 2017.07.18 Tuesday
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  • 00:00
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Comment
14歳〜中学生ですね〜

ジョン万次郎すごいですね!
  • シネマ大好き娘
  • 2016/04/29 03:18
シネマさん。

シネマさんの息子さんも将来楽しみですね。
  • めりい
  • 2016/04/29 10:28
これは素敵な像ですね!

芸術的です☆

万次郎の生誕地まで行かれたのですか。

これなら、いつ大河ドラマで、万次郎が主人公になっても準備OKですね!(^^)!
  • しずか
  • 2016/04/29 11:10
小学校の時、物語を上手に話し聞かせる先生が2組の(2クラスのみ。2組は適当。どっちだったか?)担任でした。時々お話しくださるその時はTVはなく紙芝居でも凄く引き込まれる時代、そんな楽しみを与えてくださった橋本先生の事を今も忘れることはないですね。

めりい先生のお話の後、手をたたいて、のあの時代を思い浮かべながら拝読させて貰いました。 おっ、続編が!楽しみにしています。


  • Kenny
  • 2016/04/29 14:10
萬次郎少年像だと知らずにこの像をみたら、まるでアクション映画の一場面のような緊迫した雰囲気がありますねΣ(゜△゜)
実際皆さん命の危機にひんしていたわけですが…

帰国の際、しっかり資金をためて、自分だけでなく仲間たちも迎えにいくというところに万次郎さんの人柄が伝わりますね。

ところで、万次郎さんのマスコットキャラクター?
どことなく、くれよん○○ちゃんに似ているように感じるのは気のせいでしょうか。目が…(^^A)
しずかさん。

次回の記事で書きますが、ジョン万次郎の生誕地に行って、大河ドラマ誘致運動をされている事を知りました。

この記事がこのまま使えます(笑)

でも、舞台がハワイやマサチューセッツ州になったらどうしましょう?

一緒に来てくれるよね(笑)
  • めりい
  • 2016/04/29 15:05
kennyさん。

ジョン万次郎について、知っているつもりでも、知らないことが多くて、概略を書いているつもりが、長い文章になってしまいました。

橋本先生には遠く及ばない内容ですが、読んでくださって、ありがとうございました。

次回の記事は生家の様子なので、文章はほとんどないです
その方が、気が楽です(笑)
  • めりい
  • 2016/04/29 15:11
一乃さん。

私はジョン万次郎ひとりが遭難したと思っていたので、萬次郎少年像を見た時、ぜんぜん意味が分かりませんでした。
確かに他の像とは違って、インパクトがある像です。


>万次郎さんのマスコットキャラクター
そうだ!そうです(笑)
私もすぐに親しみを感じたのは、くれよん○○ちゃんに似ているからですね(笑)
  • めりい
  • 2016/04/29 15:31
ジョン万次郎さん、知っているようでほとんど知らない。

単独でアメリカに渡り、資金まで造って、帰国。
ドラマになる話ですね。
開国した日本の功労者ですね。
  • ラメール
  • 2016/04/30 02:54
ジョン万次郎は鎖国の時代に漂流してアメリカへその船長の好意も良かったですね!
帰国後の幕府の扱いも彼が必要な時代になっており大活躍でした。
凄いですね!
ラメールさん。

そうなんです、知っているつもりで知らない・・(笑)

今、改めて本を読んでいます。
本当に波乱万丈の人生ですね。
  • めりい
  • 2016/04/30 19:55
四方さん。

捕鯨船のホイットフィールド船長がいい人だったからラッキーでした。

アメリカから帰国した万次郎は、幕末という時代の寵児になりましたね。


  • めりい
  • 2016/04/30 20:00





   

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