JUGEMテーマ:京都

 

 

料理旅館「幾松」より北に300mほど進むと、土手町通りに面して「石長 松菊園」という旅館があります。

「松菊」とは木戸孝允(桂小五郎)の雅号です。

 

片隅には「木戸孝允旧跡」と書かれた石標がたっています。

 

 

 

 

その奥に進むと、姉妹館「旅館 いしちょう」があります。

ここにも同じく「木戸孝允旧跡」と書かれた石標があります。

 

江戸時代、この辺りには公家の近衛家の別邸がありました。

明治維新後、近衛家が東京へ移転すると、その跡を木戸孝允(桂小五郎)が購入して京都別邸としました。

現在、建物のほとんどは取り壊されていますが、建物と庭の一部が国の史跡として、職員会館「かもがわ」で保存されています。

 

「かもがわ」は「旅館いしちょう」の奥(東側)にあります。

 

入口を入って、すぐ右にありました。

2階建ての建物・・割と現代的な建物のように見えますね。

 

その前にあった井戸。

何も説明版がなかったのですが、もしかして当時から使われていた井戸?

 

 

「かもがわ」の受付で見学申し込みをして、庭の方から入らせてもらいました。

裏側から見る「木戸孝允旧邸」・・・残念ながら雨戸が閉まっています。

前もって電話で問い合わせた時には「雨戸は開いてます」との事だったのですが、この日は雨模様のため閉められているようでした。

 

 

木戸孝允は明治10年、明治天皇に従い京都滞在中に病気が悪化し、この別邸で療養しました。

妻松子(幾松)も東京から駆けつけて献身的な看病をしましたが、5月26日に死去。享年45歳でした。

最後の言葉は「西郷もいいかげんにしないか」だったといいます。

鹿児島で西南戦争を戦っている西郷隆盛の事が最期まで気がかりだったようです。

 

 

明治天皇も、木戸が亡くなる1週間前にお見舞いに来られたそうです。

天皇が病床をお見舞いされるなんて、木戸孝允がいかに天皇から信頼された人物であったかを物語っていますね。

 

 

 

ところで、木戸孝允旧邸の向かい側に「達磨堂」があります。

木戸孝允とダルマ・・どんな関係があるのかと思ったら・・

木戸の養子「木戸忠太郎」が明治末期から昭和初期にかけて収集したダルマが展示されていました。

 

中に入ると・・

うわ〜(@_@) ダルマさんが所狭しと並んでいますよ〜

 

 

 

定番のダルマだけでなく・・

 

ダルマの絵が描かれた湯呑、盃、皿・・・

 

玩具も・・

 

肖像画がありました。この人が忠太郎さんなのでしょうか。

ダルマを持ってご満悦の様子(^^♪

 

 

 

ちなみに木戸孝允と松子の間には子どもがなく、木戸の甥にあたる正二郎と、松子の甥にあたる忠太郎の二人の養子がいたそうですが、木戸の亡き後、松子は忠太郎と一緒に暮らしたそうです。

 

 

達磨堂の片隅にも「木戸孝允邸址」の石標がひっそりと隠れていました。

 

 

 

 

  • 2017.05.23 Tuesday
  • -
  • 00:00
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

Comment
達磨さん〜一個なげてくり〜〜〜〜!!
  • シネマ大好き娘
  • 2016/11/04 05:11
シネマさん。
大中小いろいろあるけど、どれがいい?
  • めりい
  • 2016/11/04 20:12
この達磨堂のコレクションには驚きましたね!

これだけ並べるのは大変だったでしょうね。

地震がきたら達磨さんたち倒れてしまうのでは?と
要ら心配をしていまいました(^_^;)

無事、木戸孝允の史跡めぐりも完成して良かったです
\(^o^)/
  • しずか
  • 2016/11/04 22:19
だいぶ古い本ですが、南條、範夫作の「幾松」という本を読んだことがあります。又取りでして読んで見ました!
桂小五郎時代の幾松は、小五郎と結婚したいと大恋愛!
結婚後、桂小五郎は木戸孝允と改め、幾松は武家の養女となり、結婚しましたが、子供は出来ず養子を向かえたのです。木戸孝允は結婚後は国家・天皇家に仕え、殆ど幾松をかえりみなかった諭旨。明治天皇は部下の見舞いには木戸孝允が始めてだったそうです。又死後、幾松は相当遊んで伊藤公などに詰め寄られ尼となっています。
霊山墓地のお墓はそれぞれ位置が全然違っていますね。
これは松子が死するとき遺言で、木戸孝允の隣にねむっら困るだろう!」とのことで分かれたお墓になったそうです!恋愛と結婚後は変わるものですね!
しずかさん。
木戸孝允旧邸の横に達磨堂があるとは聞いていましたが、こんなに沢山の達磨コレクションが並んでいるとは知らなかったし、収集した人が木戸ゆかりの人物とは思ってもいませんでした。
ついでに寄ってみて良かったですね。

  • めりい
  • 2016/11/06 19:27
四方さん。
え〜〜〜(+_+)そうなんですか?
幾松さんのイメージが変わりました( 一一)

幾松さんの方が熱を上げて、小五郎に攻めよったということかな?
そして思い通りに結婚して、夫の死後は好き放題?

ある意味、羨ましいな〜(^_-)-☆
  • めりい
  • 2016/11/06 19:33
高杉晋作の妻のおりょうさんも、最後には周辺の圧力で尼になったと記されていますね!!
木戸孝允は桂小五郎のとき、最初の結婚では妻に見放され離縁しています。そのトラウマが凄く残っており、木戸孝允や伊藤達が欧米を1年8ヶ月も視察しているとき、幾松は2度役者遊びをしていますが、木戸孝允はよう離婚しませんでした!
欧米での貴族の嫁は愛人を持つのが当時はあたり前だったそうですよ!、
四方さん。
wikipediaに
>長州の後輩たちの取り決めで・・・生えてきた剃髪は再び剃らずに切り髪にして結い上げる事の無いよう約束し・・
とあります。

この意味が分からなくて、どうして後輩たちからそんな取り決めをさせられるのか、そんな事言われるまでもないことだと思っていたのですが。

ようやくその意味が分かりました。

幾松の人生はなかなか面白いですね。
関連の本を読んでみたくなりました(笑)
  • めりい
  • 2016/11/07 20:07





   

PR

Calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Link

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM