JUGEMテーマ:歴史

 

 

高城山から南西方向に伸びる尾根の先端部分に、波多野氏が丹波に下向して最初の頃に築いたとされる「奥谷城跡」があります。

八上城跡の半分くらいの高さの小山で、別名「蕪丸城」とも呼ばれたそうです。

 

案内板によりますと・・・
室町時代中期、波多野清秀が石見国(島根県)から上京して細川勝元に仕え、応仁の乱で軍功をあげて多紀郡を与えられた。
清秀の子稙通の代になって、永正年間(1504〜1521)に八上奥谷に蕪丸城を構え、続いて浅路山(高城山)に八上城を築いたと考えられる。
その後、波多野氏は元秀・秀忠・春道・秀治と続き、主として八上城を本城として活躍し、蕪丸城はその根城的な役割を持ち、奥谷城とも呼ばれるようになった

 

 

 

 

 

 

 

奥谷城跡の登り口は、この案内板の後ろです。

今まで行かれた人のブログを読むと「登り口が分からない」との意見が見られたのですが、小さな入口なので少々分かりにくいかも知れませんね。

 

 

 

この奥谷城跡の中には案内表示がなかったので、資料の地図と照らし合わせて紹介しますね。

まず、矢印の場所が登り口です。

前を走る道路は、自然の地形を生かした堀が埋め立てられたもので、当時辺りには奥谷城の城下町が形成されていたそうです。

 

 

 

さて、登り口からすぐに「虎口」があります。

 

これがその写真。前方は居館のあった曲輪の切岸。

・・・と説明を聞いたように思います(^^♪

 

 

 

 

虎口から右方向に上がっていくと帯曲輪があります。

 

 

 

 

 

さあ、ここからが大変でした。

道なき道を進み、どこをどう歩いたやら・・

写真はたくさん撮ったのですが、それがどの位置だったのか分かりません(@_@。

とにかく先生の後について歩くだけで一杯一杯でした。

 

 

 

 

やっと写真と位置が合致したのが、ここ「腰曲輪」

 

 

左の高い所は主郭

 

 

 

 

そして主郭へ到着しました。

 

主郭虎口

 

奥谷城は小山だと思っていましたが、意外に広い主郭。

 

主郭から見た、さきほどの腰曲輪

 

 

 

主郭の東西に「竪堀」があります。

 

竪堀の雰囲気が伝わるかな?

 

 

 

 

 

そして圧巻はこれです。

 

主郭北端の「大堀切」

 

大きな段差になっているのが、写真で伝わるでしょうか。

 

 

大堀切の向こうに八上城跡が見えますが、写真を撮ると・・

あら残念、目の前の木にピントが合ってしまいました(-_-;)

 

 

 

奥谷城跡は小さな山なので、歩くのは簡単だと思っていたのは大きな間違いでした。

山が小さくても「切岸」「帯曲輪」「腰曲輪」「竪堀」そして圧巻の「大堀切」もあって見どころ満載。

所要時間1時間で、コンパクトに山城を楽しめました。

 

考えてみれば、波多野氏はここを拠点に勢力を拡大て領地を広げ、やがて後ろにそびえる高城山山上に大規模な城郭・八上城を築城したわけですね。

いわば奥谷城は出世城です。

 

だから、ここにには悲話はありませ〜〜ん(^^♪

メデタシ、メデタシ。

 

 

 

 

 

 

この記事は、山城研究家の先生の案内を元に、私の解釈、資料を加えて書いています。

間違って理解したり、誤字・脱字も多々あると思いますが、どうぞお許しくださいませm(_ _)m

 

 

 

次は「土居の内」の記事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  • 2018.01.16 Tuesday
  • -
  • 20:57
  • -
  • -
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Comment
悲話の方が、泣けるのにね!

健脚めりぃさま〜〜〜ばんざい!
  • シネマ大好き娘
  • 2017/12/08 05:36
シネマさん。

八上城にはいっぱい悲話があったので、泣きながら歩いてましたが、奥谷城は歩くだけで精一杯でした(^^♪
  • めりい
  • 2017/12/08 23:08





   

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