JUGEMテーマ:歴史
12月初旬の丹波盆地はもうすっかりお米の収穫も終わり、刈り取られた田んぼが寒々と広がっていました。
そんなの田んぼのあちらこちらで農作業をされている方を見かけます。
何を収穫されているのかと思ったら、それは「黒豆」でした。
「丹波の黒豆」有名ですね。
真っ黒に輝く黒豆は、お節料理に欠かせないものです。
収穫された黒豆は、お正月商品としてこれから出荷されるようです。
今が旬の黒豆ですが、夏にも旬があります。
それが「枝豆」です。
黒豆の枝豆が美味しいのは私も知っていましたが、丹波黒豆の枝豆は一段と美味しいそうです。
枝豆をつまみながら、ビールをキューッと(^O^)/
篠山を訪れるなら、次は絶対夏に(^^♪・・・
と、そんな事を考えているうちに、中世土豪の居館に到着。
黒豆を収穫されていたのか、作業服を着たこの屋敷のご主人がにこやかに出迎えて下さいました。
お仕事の手を止めて、申し訳ありませんm(_ _)m
中世の土豪や国人領主たちは、敵の侵略や攻撃に備えて、屋敷のまわりに土塁・堀などを廻らせたそうです。
それを「土居の内」または「堀の内」と呼びます。
この土居の内は、曽我部荘一帯を領した土豪畑氏が室町時代に築いたもので、多紀郡内で唯一残った貴重なものです。
土塁の高さは1.8m、底幅約5m
南側には幅約7mの堀があったのですが、現在は畑になっています。
ぐるりと一周見て回りました。
東側
北側
昔は北側から東側にかけて川があり、自然の堀となっていました。
西側
お〜これは堀切?思いきや、2代前のおじいさんが、水を取り込むために土塁を切り取られたそうです。
「丹波誌」には「天正の頃、畑佐近允能綱同弟弾正守弘等住む」と記されているそうです。
畑氏は、織田信長の丹波攻めの際には波多野氏に属して抗戦し、館後方にある詰城・八百里城で奮戦しましたが、明智軍の猛攻撃を受けて落城、一族の戦死者も出しました。
その後畑氏一族は離散しましたが、後、故郷に還住し、今もこのお屋敷に子孫の方がお住いになっています。
畑氏は南北朝時代に丹波に移住してきたといい、庭には「宗祖 畑時能 南朝忠臣」など刻まれた記念碑がありました。
畑氏代々伝わる「お宝」を見せて頂きました。
「空穂」
「空穂」と書いて「うつぼ」と読みます。
今から60年ほど前に武具・甲冑研究の権威者・山上博士に鑑定してもらったところ、「これは五〜六百年前の武具「空穂」で、山野を狩りするとき、矢入れとして用いられたもので、現在日本国中で10個とは残存していないでしょう。素晴らしい貴重品です」と、即座に折紙をつけられたそうです。
篠山市の文化財に指定されています。
そして、これは「十字鍔」
「鍔」って、刀の部品ですよね。
ちょっと持たせてもらったのですが、とても重い。
これを付けて刀を振り回すなんて、ちょっと変。
形も「十字」
もしかして十字架?
丹波の山の向こうには摂津があります。
摂津といえば、キリシタン大名「高山右近」がいました。
隠れキリシタン?・・・あり得ますね。
お家の中も、少し覗いてみました。
煤竹で作った衝立
茅葺のお家は囲炉裏を燃やすので、屋根裏に使われている竹材が真っ黒に煤けます。
それを磨くと、こんなに綺麗な模様と艶が出るんですって。
うわ〜芸術作品ですね。
天井にも使われていました。
そして戸外に無造作に置かれていた木製の屋根飾り。
現在の門は瓦葺ですが、昔は茅葺だったそうです。
その時に使われていた飾りです。
何代にも亘って風雪に耐えた歴史の重みを感じました。
色々面白いお話を聞かせて頂いて、ありがとうございました。
お聞きした事の半分も書けていないし、また他の資料を引用してちょっと違った表現になっているかも知れません。
その点、お許し願いたいと思います。
次は・・・いよいよ「ぼたん鍋」の記事です。
- 2017.12.08 Friday
- 篠山を巡る旅ブロガー旅行記
- 23:01
- comments(6)
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- by めりい
ぼたん鍋は、NG〜〜!!
今日はホビーシネマの会です!