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- 2018.12.29 Saturday
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JUGEMテーマ:歴史
篠山城跡の南東方向に「河原町妻入商家群」があります。
城跡から歩いて15分くらい。
この距離を歩く事により、城の近くには武士の屋敷があり、その外に商人の住まいがあったことを実感しました。
「河原町」とは、篠山川を南に移動させてできた土地に名付けられた地名で、城下町の町割りで商人が住むと指定され「商家群」が建ち並んでいました。
さて「妻入」とは?
ご存じの方も多いと思いますが、「妻」とは屋根がΛの形になっている面の事だそうです。
道に面して少しでも多くの商家を並べるため、建物の狭い面に出入口を設け、家の奥行きは広くしました。
つまり「鰻の寝床」と言われる建物が建ち並んでいたわけです。
屋根の形が妻の方に出入口があるから「妻入」
では、屋根の形が平な方に出入口があったら・・それは「平入」と呼ぶそうです。
(分かりやすいようにイメージ写真に加工しました)
河原町には東西700mの通りの両側に、間口3間奥行き20〜60間程の妻入商家約70軒が、軒を並べた昔のままの姿で残っています。
河原町を代表する妻入住宅「西坂家」
江戸時代の建物で、元は綿花栽培、醤油屋を営んでいたそうです。
西坂家住宅の間口は広いですね。9間もあるそうです。
この間口で奥まで敷地があるから豪邸ですね。
かなりの実力者だったのかな。
こちらの「川端家住宅」は間口9間半。さらに広いですね。
内部はヒノキなどの超一級の材木がふんだんに用いられ、とても豪華とか。
格子戸を覗いてみましたが、見えません(>_<)
河原町の中ほどに、白壁がまぶしい土蔵造りの素敵な建物がありました。
両替屋の米蔵を利用して造られた「丹波古陶館」です。
丹波焼の歴史は古いのですね。
平安時代末期から鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代後期に至る700年間に造られた焼き物がズラ〜〜ッと並んでいました。
目をひいたのが江戸時代のジャンボな「大鉢」。蕎麦団子をこねるのに使ったそうです。
また江戸時代には、将軍家への献上や他国への贈答などに、篠山藩の名産品(山椒など)を壺に入れて贈ったそうです。
内部は写真NG。中庭だけ写真を撮りました。
もう一つ。「丹波古陶館」に並んで「能楽資料館」がありました。
春日神社で使われる「能面」「装束」「楽器」などの他、数々の名品が展示されていました。
秀吉が所持していたと伝わる「菊桐紋面箪笥」もありました。
私がちょっと興味を持ったのはこちら・・
能面の般若には「赤般若」「白般若」の「紅白」(笑)があるそうです。
ちなみに源氏物語の「葵上」は、白般若が使われるとか。
この「能楽資料館」は、能楽専門の資料館としては全国唯一だそうです。
篠山がいかにお能にゆかりが深いか、よく分かりました。
「丹波古陶館」「能楽資料館」合わせて共通券700円でした。
河原町は、今でも多くの商店が並んでいます。
ここは瀬戸物屋さん
ズームアップすると・・可愛い〜!
河原町を歩いている先に「まけきらい稲荷」の案内表示があったので、そちらの向かいました。
次の記事は「王地山まけきらい稲荷」です。
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