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- 2018.12.29 Saturday
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JUGEMテーマ:歴史
河原町を歩いていたら「まけきらい稲荷」へ行く案内板がありました。
それに従って歩いて行くと、すぐに立派な鳥居が見えてきました。
河原町から「まけきらい稲荷」まで、近いのですね。
朱塗りの鳥居が鮮やかです。
お〜〜これはまるで幾何学模様ですね(*^^)v
長〜い鳥居をくぐり抜け、さらにその奥へと階段を上がりました。
「まけきらい稲荷」とは。
篠山藩主青山忠裕が老中をつとめていた文政年間の頃、毎年春と秋に江戸の両国で将軍上覧の大相撲が催されていました。
しかし篠山藩のお抱え力士はいつも負けてばかり・・負けず嫌いの忠裕はいつも不機嫌に。
ある年の春場所の事。篠山藩の力士たちはいつものとおり負けてばかりで、その不甲斐なさに忠裕はいつも以上に不機嫌でした。
ところが6日目になって8人の力士が現れ、「丹波の王地山平左衛門、波賀野山源之丞、飛の山三四郎、黒田山兵衛、曽地山右近、小田中清五郎、須知山道観、頼尊又四郎と申す者、ぜひ相撲をとらせていただきたい」と申し出ました。
土俵にあがった力士たちは連戦連勝。「丹波の相撲取りは強い」と大変な評判になったのです。
これを聞いた忠裕は「その者たちをすぐ呼べ」と家来たちに探させたが見つかりません。
あとで調べた所、力士たちの名前は青山家領内に祀られるお稲荷さんの地名だと分かり、忠裕はそれぞれの稲荷社へ感謝の真心をこめた幟や絵馬を奉納したそうです。
境内の一番奥に構える立派な社殿。
てっきりこれが「まけきらい稲荷」だと思って写真を撮りました。
でも・・・違ってました(>_<)
「まけきらい稲荷」は、その前にある「平左衛門稲荷」だったのです。
家に帰ってから気がつきました(>_<)
急いで写真を探したら、辛うじて1枚だけ写っていました。
これが「まけきらい稲荷」の代表「平左衛門稲荷」です。
・・・1枚でも写真に写ってて良かった(*^^)v
ところがブログ友達のIさんの記事を読むと「土俵の上にお祀りされている」と。
ど・・ど・・土俵???(@_@。
慌ててズームアップすると、アッ!写ってました。まあるい土俵が辛うじて写ってました。
さらにIさんの記事によると、その横には各力士の名前の書いた小さな社があると。
向きを変えてズームアップすると、写っていたのは社ひとつ・・と・・半分(@_@。
社の台座辺りに、名前らしき文字が書かれています。
虫眼鏡で見ると、辛うじて「又四郎」と読めました。
これは大失敗(-_-;) くやしい〜〜
でもこの失敗は、考えようによっては「又、篠山に来なさい」という事ですね。
そうです!また篠山に来ます!
私も「まけきらい」です。
次は「篠山のお酒とチーズケーキ」の記事です。