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  • 2018.12.29 Saturday
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JUGEMテーマ:滋賀県


樹徳寺から余呉川に沿ってタクシーを走らせ、大澤寺(だいたくじ)に到着しました。





ここには賤ヶ岳の合戦の時、佐久間盛政が、秀吉の美濃大返しを知らせるために打ち鳴らしたという鐘があります。







佐久間盛政は、秀吉が大垣に赴いた隙をついて中川清秀の砦を急襲し討ち取りました。
しかし思いのほか秀吉軍が早く帰ってきたため、敵陣深く入り込んだ盛政は大敗し、それが誘引となって柴田勝家方は賤ヶ岳の合戦で秀吉に敗れました。


本堂は、さらに階段を上ったところにあります。





ここには十一面千手観音様が安置されているそうです。





振り返ると木之本の町が見えます。秀吉軍が行軍してくる様子がここから見えたのでしょうね。




「中川清秀のお墓→」という案内板を見たので、タクシーの運転手さんに聞いてみたところ、ちょっと距離がありますよとの返事。

時間もないし、お金もないので(T_T)今回は諦めることにしました。

またいつか余呉湖方面に行ったら、立ち寄ってみたいと思います。













 

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黒田家御廟所から南西の方面に向かって2kmほどの所(木之本町田居)に、樹徳寺があります。





樹徳寺は、かつて黒田氏の菩提寺として黒田地区にありましたが、明治11年にこの場所に移築されました。





本堂の前には、黒田家祖先や関係者の供養塔、五輪塔などの石塔が残っています。





先ほど木之本町地蔵院で見た官兵衛の肖像画の原本は、この樹徳寺にあります。
江戸時代の作という衣冠束帯の正装姿の官兵衛像が掛け軸に表装されて保管されているそうですが、残念ながら公開はされていません。






帰り道、タクシーに停まってもらって賤ヶ岳を写真に納めました。
ここで秀吉と柴田勝家が戦いました。
最近発見された秀吉の合戦指示書により、官兵衛も参戦していたことが分かったそうです。





この日は3月29日。賤ヶ岳リフトは冬期休業中でした。










 

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木之本の黒田官兵衛博覧会の会場からタクシーに乗り、「黒田家御廟所」に向かいました。

が・・すぐ近くでした(笑)






賤ヶ岳の東麓にある「木之本町黒田」集落。
黒田家譜によると、官兵衛のルーツはここにあると書かれているそうです。

黒田の集会所








この辺りは「構屋敷」と言い、周辺には石垣や堀の跡らしきものもあり、地元ではここが黒田氏館跡と伝えられていました。









しかしそれは伝承だけで、ここに黒田氏館跡があったという確証はなかったので、昭和2年(1927)に建立された石碑には「黒田氏旧縁の地」と刻まれました。(旧の字は昔の漢字なので悪戦苦闘しましたが変換不可でした(-_-;))




ところが昭和48年(1973)黒田集会所改築時に整地をしていたら、なんと「源宗清」と刻まれた石塔が出土したそうです。
「源宗清」と言えば、黒田に住んで、以後黒田姓を名乗ったという初代当主です。

出土した当時の黒田家当主「黒田長禮」氏は喜び、翌年覆屋(おおいや)を作り、出土した石塔を納めて祀り御廟所としました。






石塔をアップで写すと・・・確かに「源宗清」と書かれています。




これにより黒田氏始祖の地と確定され、碑文にも明記されました。黒田長禮氏の名前が書かれています。





御廟所にある案内板




案内板の続き 系図



案内板によると、宗清より数えて6代目の「高政」の時に山城国(現京都市)船岡山の戦いに参戦したが、軍命違反で咎められたため、木之本の地を去って備前岡山に定住しました。
そして「重隆」の代に姫路に移り「職隆」「孝隆(官兵衛)」へと続いていきます。




ところが、黒田官兵衛のルーツは西脇市の黒田庄であるという説もあります。

あなたはどう思いますか?














 

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木之本は、木之本地蔵院の門前町そして北国街道の宿場町として賑わった町です。

木之本地蔵院前から見る北国街道


今もその風情を残す町並みが残っています。



歩くとすぐに、木之本宿の本陣跡があります。






本陣跡に住む当主は、日本薬剤師免許の第1号取得者だったそうで、軒先には薬の看板がいっぱい並んでいます。
昔はこんな薬の看板もあったのですねぇ。







造り酒屋も軒を連ねます。
450有余年の歴史を誇る酒蔵「富田酒造」さん。






冨田酒造さんといえば、有名な清酒「七本鎗」





買いたいのはやまやまだけど、とてもじゃないけど重そう〜






これなら軽そう・・・と買った「酒蒸し羊かん」






でも後で写真をみたら、こんなのもあったんだ(^_^;)







木之本宿をあれこれ見ながら歩いていたら「黒田官兵衛博覧会」会場へ到着しました。










写真が撮れるのはここまで!





博覧会の中には、ドラマで使われた衣装やパネルの展示、賤ヶ岳のジオラマなどがありました。

一番驚いたのは、官兵衛の祖父は、目薬を売って財をなしたとされていますが、その目薬というのは軟膏なんですね。
私は現在のような液体をイメージしていました(笑)
写真に撮れなくて残念です。



黒田官兵衛博覧会のあとは樹徳寺などいくつかの史跡を巡る予定です。
でも「奥びわ湖おもてなしバス」のルートとは少し離れるため、ここからはタクシーに乗って観光します。

電話をしたら、すぐにタクシーが来てくれました。









 

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長浜から電車に乗り木之本に到着。





これからの木之本観光に備え、早めの昼食をとりました(笑)

駅近くの「丸忠」さんのワンプレートランチです。周遊券についていた500円クーポンが使えました。

豪華でしょ?






そしてまず向かった先は「木之本地蔵院」。賤ヶ岳の合戦では、秀吉がここに本陣を置きました。






木之本地蔵院は目の仏様として有名です。

最近私も長時間パソコンに向かっているので、目がとても疲れています。また視力もかなり落ちたみたい・・

健康な目に戻りますように・・・
・・・ってお祈りするより、パソコンに向かう時間を短くすればいいのか(笑)



この鉄鰐口は、豊臣秀頼が寄進したものです。



あれ?この蛙、ウインクしてる・・

・・ではなく、「すべての人々の大切な目が、お地蔵様のご加護をいただけますように」と願をかけて片目をつむっている「身代わり蛙」だそうです(笑)







奥にある書院では「宝物展」が開かれています。





前方に並んでいるのは、豊臣秀頼寄進の鉄鰐口、金銅吊燈籠、青銅擬宝珠。





そして後ろにあるのが衣冠束帯の正装姿の伝・黒田官兵衛様です。
木之本の樹徳寺に伝わる肖像画を複製したものです。ちょっとイメージが違うような・・






他にも浅井久政の書状、堀秀政の書状などがありました。





奥には江戸時代中期頃の作庭と伝わる名勝庭園もありました。










そうそう、戒壇巡りもありました。





興味に駆られて入ってみると・・




ヒャ〜〜〜ッ真っ暗!






6つ目の角を曲がった辺りに「ご結縁の鍵がある」とか書いてあったのですが、そんなの探していられない・・必死です(笑)

Sさんと互いに名前を呼び合いながら、なんとか脱出(~O~;)





あ〜生きてて良かった・・

もう懲り懲りです〜





でも、ちょっぴり面白かったかな(笑)











 

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記事を書くのが遅くなりましたが、3月の下旬、長浜城歴史博物館に行ってきました。





現在、長浜城歴史博物館では「黒田官兵衛博覧会」が開かれています(平成26年1月19日〜12月28日)





長浜城といえば、秀吉の出世城。
信長の配下で数々の功績をあげた秀吉が、初めて一国一城の主として築いた城です。
黒田官兵衛はその秀吉の家臣として、中国平定や賤ヶ岳の合戦などで活躍し、秀吉の天下への道のりを助けました。




一時期、官兵衛の嫡男・松寿(長政)が信長の人質として秀吉に預けられ、この長浜城で過ごしました。
官兵衛が荒木村重の有岡城に幽閉された時には、信長より謀反を疑われ、松寿丸の命も危ういところでしたが、竹中半兵衛の機転で救われたと言われています。
しかし反面、長浜城には、秀吉子飼いの福島正則、加藤清正らがいて、ここで彼らと親しくなったことが後に大いに役立ったとも言えます。



長浜城歴史博物館に入り、前売券を周遊券に替えました。
この前売券は、博覧会が始まる前に1000円で買ったものです。






これがひき替えた周遊券です。長浜城歴史博物館の「黒田官兵衛博覧会」・戦国大河きのもと館の「大河ドラマ館」そして「高月観音の里歴史民俗資料館」の3施設の入館券と、食事や買物に使える500円分のクーポン券がついて、しかも官兵衛ゆかりの地をめぐる「奥びわ湖おもてなしパス」(土日・祝日運行)にも乗車できます。
合計1800円のものが1000円で買えるのだからお得です。

この周遊券はすでに使った後なので、3方がちぎられていますが、もとは四角形でした。





でも前売だけでなく、4月1日からJR木之本駅と高月駅で販売が開始されたと新聞に書いてたので、今も買えるようです(笑)



お城に入って、まずは最上階の展望台へ行きました。
信長の跡目をめぐって、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳が見えます。ちょっと薄いかな・・






小谷山も見えます。ここには浅井長政やお市の方、三姉妹が暮らした小谷城がありました。
賤ヶ岳の合戦は、お市の方の取り合いでもあったとか・・







そして3階の博覧会へ行きました。

この時は「秀吉・官兵衛の戦いを支えた武将たち」がテーマでしたが、今は「本能寺から賤ヶ岳合戦」(4月7日〜5月20日)のテーマで展示されています。
1年に何回か展示替えがあるようです。




博覧会は3階だけでなく、2階にも展示されているのですが・・

ヤバイ・・時間が足りない・・

長浜駅で降りて長浜城歴史博物館を見て、1時間後の木之本行きの電車に乗る予定なのですが、あっという間にその時間が迫ってきました。

次の電車はさらに1時間後なので、そこまで伸ばせません・・

博覧会では、官兵衛を支えた武将として竹中半兵衛の史料などが展示されていたのですが、ゆっくり見るまもなく退散〜〜〜〜




そして予定の電車に乗って、木之本へと向かいました。



















 

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JR大津駅からびわ湖に向かって歩いて行く途中に大津別院があります。





東本願寺第12代の教如上人が創健した別院で、古くは大津御坊と称されました。

現在の本堂は慶安2年(1649)に建立されたものです。
桁行9間、梁間10間、入母屋造りで1間の向拝を付けた本瓦葺の大型仏堂です。





この本堂の裏に、寛文10年(1670)に建築された書院があり、美しい天井画や襖絵があると入口の案内板に書いていましたが、一般公開されていないようです。





外回りだけ見て帰ろうとしている時、たまたま通りかかった地域の観光ボランティアの人が「中に素晴らしい書院があるので、是非みせてもらいなさい」と言って、親切にも住職さんに掛けあってくれました(^_^;)





突然のことでご迷惑かと思ったのですが、住職さんは快諾して本堂に案内してくれました。
ラッキー(^^)v



本堂内部
外陣が広くゆったりとしています。大勢の門徒さんが集まるのでしょうね。





そして書院に案内してもらいました。

上段の間・・中を覗くと・・





わ〜〜豪華! 




格天井にはひとつひとつに草花図が描かれています。








豪華絢爛な桃山文化を彷彿とさせます。









徳川3代(家康・秀忠・家光)が上洛する際には、ここで12代教如・13代宣如が会見しました。





また明治時代には、2度も明治天皇の行在所となりました。




大津別院の本堂・書院とも江戸時代初期の特徴を残す建築として昭和36年に重要文化財に指定されています。

貴重なものを見せてもらって、この日は本当にラッキーでした。












 

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先日、大津市にある「新羅善神堂」に行ったのですが、その先にある「新羅三郎義光の墓」まではたどり着けなかったという記事を書きました。

その記事は→http://oumiji.jugem.jp/?month=201403

今回、再挑戦してきました。


弘文天皇陵の前にある鳥居の左横から自然歩道に入りました。







道はきちんと整備されていますが・・・






まさに自然歩道です(笑)。倒れた木の下をくぐると・・






案内板がありました。これを見てちょっと安心・・(^_^;)





でも、まだまだ道は続きます。
今回は友人と一緒なので少しは安心ですが、女ひとりではちょっと怖いですね。







そして新羅三郎義光のお墓に到着(^^)v









新羅三郎義光は、源義光のことで、源頼義の子にあたります。
兄に源義家、源義綱がいます。
新羅三郎というのは、園城寺の北院の鎮守・新羅明神をまつる新羅善神堂の神前において元服したことにちなむもので、兄も八幡太郎義家、賀茂二郎義綱とそれぞれ元服した神前に由来する名を別に有しています。
義光は、弓馬の道にすぐれ、後三年の役(1083-1087)には兄の義家を助けるため奥州へ出向いて清原氏の乱を兄に協力して治めています。
義光は1127年に没し、この墓が新羅三郎義光の墓といわれています。




新羅三郎義光は三井寺で死去したという説が有力ですが、その死因については病死説と殺害説があります。
殺害説では、義光が暗殺した義忠の遺児に討たれたとされていますが・・血で血を洗う源氏の闇の部分ですね。

なお義光の子孫は、武田氏、佐竹氏、小笠原氏などとして発展していきました。


 


 


 

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姫路・岡山・四国の旅2014〜青春18切符 目次


姫路城と桜〜姫路市

大河ドラマ館と歴史博物館〜姫路市

好古園〜姫路市

おもてなしDINING福亭〜姫路市

備中高梁城〜高梁市

栗林公園春のライトアップ〜高松市

屋島を歩く〜高松市

高松城址(玉藻公園)〜高松市

生駒氏ゆかりの弘憲寺・法泉寺〜高松市

徳島城跡〜徳島市

阿波おどり会館〜徳島市





 

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上の階が広くて、下の階が狭くなっているこの建物。提灯をイメージして建てられた「阿波おどり会館」です。
その後ろに見えるのが、徳島のシンボル「眉山」です。




眉山は「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山」と万葉集に読まれ、宮本信子さん主演の映画「眉山」の舞台ともなりました。


阿波おどり会館の5階から眉山へのロープウェイが出ています。





たった6分で山頂へ到着。徳島市内が見渡せます。

真ん中の小さな山が徳島城址の「城山」。その向こうは吉野川。

夜には美しい夜景が見られるそうです。






眉山の山頂では桜が満開!(4月4日撮影)





それもそのはず・・眉山千本桜ですって!











眉山に来た理由はこれ。蜂須賀正勝(小六)のお墓参りです(笑)





地図に沿って下って行くと・・





ありました。小六様のお墓が・・








大阪天王寺にあった蜂須賀正勝のお墓が、昭和の時代になって、蜂須賀家歴代のお墓があるこの場所に移転してきたそうです。





山を下って行くと、蜂須賀家歴代のお墓がたくさんあるようです。


が・・お墓参りは小六様だけにします(笑)


ロープウェイを降り、エレベーターで阿波おどり会館の3階にある「阿波おどりミュージアム」に向かいました。

エレベーターのドアが開くなり・・ワッ!






ミュージアムの館内には阿波おどりの歴史や資料、衣装、楽器などが展示していました。








阿波おどりには、こんなに沢山の有名連があるのですね。



徳島の夏、阿波おどりの夏、パワーみなぎる熱い夏。
またいつか、見に来たいと思います。


岡山、高松、徳島と回った青春18切符の旅もこれにて終了。
徳島駅から鈍行電車に乗り、7時間半かけて自宅のある最寄り駅に到着しました(笑)




次の青春切符は夏。何処へ行こうかと、もう今からワクワクしています。








 


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