JUGEMテーマ:滋賀県

多賀大社は古事記にも記されているように、1300年以上の歴史がある神社です。
ご祭神は「伊邪那岐命」と「伊邪那岐命」、伊勢神宮の祭神「天照大神」は、その子にあたります。

「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と言われる由縁です。

延命長寿、縁結びの神、魔除けの神として信仰を集め、「お多賀さん」という愛称で親しまれています。


お多賀さんの表玄関には重厚なそり橋があります。
太閤秀吉の信仰も篤く、母・大政所の病気平癒の御礼として奉納された米一万石から作られたものです。
ゆえに「太閤橋」とも呼ばれます。
当初は木造のものでしたが、徳川幕府の助力もあって、江戸初期に石の橋となりました。


本殿


太閤秀吉から奉納された一万石で、奥書院と庭園も築造されたと伝わります。
奥書院には障壁画や国の重要文化財に指定されている屏風、そして秀吉祈願文などが現存しているそうですが、今回は時間の都合でパスしました。
但し、奥書院・庭園入り口には現在工事中と書かれていました。(2012年7月)


しゃもじと言えば安芸の宮島の名物となっていますが、お多賀さんのしゃもじはそれより歴史は古く、奈良時代の元正天皇の病気平癒の故事にちなみ、無病息災、延命長寿を願って授与されています。
「お多賀杓子」から「おたまじゃくし」の言葉が生まれたともいわれています。


湯神楽の大釜
徳川幕府は、寛永年間と元禄年間の二度にわたる大造営、大修理を行い、その竣工を記念して大釜を奉納しました。
一基には寛永15年、もう一基には元禄12年と刻印されています。


つり鐘
鐘楼の中にある梵鐘は、室町時代後期に鋳造されたもので、浅井長政の幼名「浅井猿夜叉」の名前も書かれているそうですが・・見られません・・


太閤蔵
太閤秀吉が奉納した一万石で奥書院や庭園を築造されましたが、この蔵もその時の建造物とされ、太閤蔵の名前がついています。
お金が余ったのかな?
 

ところで、お多賀さん名物といえば「糸切餅」
多賀大社大鳥居前には、糸切餅のお土産屋さんが並んでいます。


今回初めて知ったのですが、糸切餅の赤青三筋の線は鎌倉末期に日本を襲った蒙古の旗印を意味しているそうです。
それを糸で切る・・つまり弓のつるで切る事を意味し、二度にわたる蒙古襲来を台風でまぬがれたことを喜び、神前にお供えしたのが糸切餅の始まりだそうです。

糸切餅をお土産に買うとよかったのですが、もう夕方で、夕食のおかずになるものしか目に入らず、「モロコの甘露煮」を買い求めて、帰路につきました。
多分、甘露煮?もしくは飴だきだったかな?・・

モロコといえば、びわ湖の名産。美味しく頂きました。
写真を撮っとけばよかった・・と思った時はあとのまつりでした(笑)



多賀大社の住所:滋賀県犬上郡多賀町多賀604
アクセス:JR彦根駅からバス・多賀町役場前下車すぐ または近江鉄道多賀大社前駅より徒歩10分

多賀大社の詳しい情報は⇒http://www.tagataisya.or.jp/

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滋賀県犬上郡多賀町には、図書館・博物館・文化財センターそして公園が一体となった「あけぼのパーク多賀」があります。




正面より入ってビックリ。
ホールには、アケボノゾウの全身骨格が展示されていました。


これは平成5年3月に発見されたアケボノゾウの復元模型で、中庭には出土したときの様子を再現した復元ジオラマもあり、専門員の方が丁寧に説明して下さいました。

出土した状態のアケボノゾウの骨
 

本物の骨は博物館の中にあります。


これです。アケボノゾウの本物の骨です。


アケボノゾウの足跡化石


他にもナウマンゾウの象牙


ナウマンゾウの歯や骨片


シカの角などが展示されていました。

これ、実際さわってみたのですが、ずっしりと重いですよ。
あの細身のシカが、こんな重い角をもって歩いているとは、気の毒な話です(笑)

他にも、多賀町の自然に関した資料や、多賀神社に奉納された秀吉の祈願文(コピー)などが展示されていました。


ここでひとつ気になるのが、例の平清盛出生の秘密をとく「仏舎利相承図」です。
「仏舎利相承図」は、この「あけぼのパーク多賀」の中にある文化財センターに収蔵されていると聞いています。
そこで担当者に聞いてみたところ、時々「特别展」を開催して展示しているけれど、今年は「平清盛展」で貸し出しているため、展示はされないとの事でした。
来年には特別展が開催されるとの話だったので、情報をキャッチして、今度はじっくりと見物したいと思います。

あけぼのパーク多賀の住所:滋賀県犬上郡多賀町四手976−2
入館料:200円 (16歳未満無料)

えっ?6歳じゃなくて、16歳未満は無料なのですか。

これはお子様連れファミリーには嬉しい情報ですね。
私もこの夏休みに、孫を連れて、ぜひ再訪したいと思います。


あけぼのパーク多賀の詳しい情報は⇒http://www.biwa.ne.jp/~h-ohya/akebonopark.htm

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滋賀県犬上郡多賀町には、かつて「敏満寺」と呼ばれる大寺院があったとされています。

平安時代から鎌倉時代にかけて繁栄し、巨大な本堂や30棟を超える諸堂が立ち並んでいたという記録があるそうですが、その勢力ゆえ戦国時代に浅井長政や織田信長に攻められて焼失し、廃絶しました。

名神高速道路の建設にともなって多賀サービスエリア周辺で発掘調査が行われ、昭和34年(1959)に仁王門と推定される建物礎石が見つかっています。

また昭和61年(1986)の調査では上り線サービスエリア内から城郭遺跡も発見されました。
これは出土遺物から16世紀後半のものとされ、浅井氏や織田氏と戦う際の防御施設として築かれたのではないかと考えられています。

現在は公園として整備され、保存されています。




土塁跡


虎口


堀切


また下り線サービスエリア内の調査では溝や土塁なども発見されています。


他にも、広範囲にわたって「坊跡」「井戸跡」「鍛冶跡」なども確認されましたが、保存のため埋め戻されたそうです。




ところで敏満寺は兵火で廃寺となりましたが、その鎮守社であった胡宮神社は大半を焼失しながらも残りました。
寛永5年、徳川家光の篤志によって復旧され現在に至っています。


鳥居の前には、馬車乗り入れを禁ずる「下乗石」(げじょういし)




拝殿


拝殿と本殿が囲いでつながっています。


天正元年(1573)焼けた敏満寺跡を胡宮神社の境内として整備する時、散乱していた焼石や五輪塔がこの井戸に投げ込まれ、そのまま埋没して長い年月が過ぎました。


平成の世になって古井戸は掘り返され、その焼石や五輪塔が姿を現しました。



ところで敏満寺が廃寺となった時、「重源の五輪塔」や「仏舎利相承図」など多くの寺宝が胡宮神社に移されたそうです。

その中で私が興味を持つのが「仏舎利相承図」です。
これは白河院が所持していた仏舎利が、多くの人と時を経て、やがて敏満寺に三粒寄進されるまでの流れを記したものです。

私は京都文化博物館で開催されていた「平清盛展」(2012年6月16日〜7月17日)でこの「仏舎利相承図」を見ましたが、平清盛は白河院と祗園女御の妹との間に生まれたと、系図の様式で書かれています。

今年の大河ドラマ「平清盛」はこの説にそって、白河院の寵を受けて懐妊した祇園女御の妹・舞子が、その子を平忠盛に託し、清盛と名付けらて、平家の子として育てられるというストーリになっています。

実際、清盛の異例とも言える大出世は、白河院のご落胤説でなければ説明できないとされています。
さて、史実はどうなんでしょう?
気になるところです。

なお「仏舎利相承図」は、あけぼのパークの「多賀町立文化財センター」に収蔵されています。


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滋賀県犬上郡甲良町に正楽寺山という小高い山があります。
鎌倉後期から南北朝時代にかけて活躍した武将・佐々木道誉はここに城を築き、41歳から78歳で大往生を遂げるまでの間、ここを本拠地としました。

佐々木道誉は京極道誉とも呼ばれますが、一番有名は呼び名は「婆娑羅大名」でしょうね。

「婆娑羅」とは室町時代の流行語で、遠慮なく振舞い、派手で、傍若無人な事を意味します。
既成の権威に屈せず、自由奔放に、そしてすぐれた文化人でもある道誉は、人々のあこがれであったのかも知れませんね。

山の西麓に、道誉を開祖として建立された「勝楽寺」があります。寺号は道誉の諡号「勝楽寺殿徳翁道誉」より命名されたものです。

当時の勝楽寺には多くの坊がつくられて興隆しましたが、織田信長の元亀争乱で一山は灰燼に帰し、この山門だけが難を逃れたました。

当時、勝楽寺は湖東五山の一つと称されましたが、同じく五山の一つであった多賀町の敏満寺とともに兵火で焼かれ、現在は湖東三山となっています。



本堂


本堂の中には、「京極道誉画像」が掲げられていまた。
現物は国指定重要文化財として国立京都博物館に寄託されているので、これはもしかして模写本でしょうか?
いずれにしても、写真撮影OKでなので嬉しいですね〜


この「京極道誉画像」は、道誉の還暦に三男・高秀が筆をとり、それに道誉が自筆の讃(画層の中の詩や文)を添えたものです。
柔和な表情に見えますが、やっぱり眼光は鋭いですね。
  

堂内に掲げられている扁額は創建当時からのものです。
もしかしてこの文字も道誉の自筆?




境内の道誉記念堂の中には、道誉の木造がありました。


これはこれは、優しいお顔ですね。




そして収蔵庫には、道誉の念持仏といわれる大日如来坐像が安置されていました。


大日如来坐像は、恵信僧都の作と伝わり、その流麗なる衣文と端厳なる容姿は藤原期の代表的霊像といわれています。
これも国指定重要文化財になっています。


この大日如来坐像は、元亀の兵火の際に光を放って本堂後方の大日池に入り、火災を免れたという逸話が残ります。
大日池




そしていよいよハイライト
境内の西北には道誉のお墓がありました。

南北朝期の宝篋印塔で、高さは120僉J鴫个亡き込まれたため激しく損傷し、風化しています。
時代の古さにロマンを感じます。




また境内奥には、最近の発掘調査で出土した宝篋印塔や石仏が多く保存されています。
勝楽寺城ゆかりの物なのでしょうね。



勝楽寺の境内から、裏山の勝楽寺城跡をめぐるハイキングコースが整備されています。
所要時間2時間くらいで、狐塚をはじめ、処刑場跡や上臈落としなど、お気軽に回ることができるそうです。

また機会があれば、挑戦してみたいと思います。


慶雲山勝楽寺住所:滋賀県犬上郡甲良町正楽寺4
アクセス:JR河瀬駅から車で20分
駐車場:普通車10台

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甲良町のお寺へ向かう途中、道の駅に立ち寄りました。

平成23年7月にオープンした「せせらぎの里 こうら」です。



店内には、新鮮なお野菜や果物、花などが並んでいます。



滋賀県の名産・丁字麩もありました。からし和えにすると美味しいですよ。



馬肉の燻製もありました。ビールのおつまみに・・・



おっ!シカ肉もありますね。



たれ漬けにしたシカ肉は焼肉で・・・ビールが進みそう(笑)




他にも、滋賀県の名産やお土産などがいっぱい!

滋賀県にお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。
もちろん、県内の方も来て下さいね。


営 業 日:年中無休(※ ただし、12月31日〜1月3日まで休み)
営業時間:午前9時〜午後6時まで
※ 冬期(11〜3月)は、午前9時〜午後5時まで
場 所:滋賀県犬上郡甲良町金屋1549番地4
電話番号:0749−38−2744
交通アクセス:名神彦根インターより 車で約20分(国道307号線沿い)

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ブロガーの歴史探訪も午前中の日程を終わり、近江商人のふる里〜五個荘でお食事をする時間になりました。

五個荘の観光拠点施設「プラザ三方よし」にバスを止めて、近江商人の白壁と蔵屋敷の街並みを見ながら、お食事処へと向かいます。

「三方よし」とは「売手によし、買手によし、世間によし」という近江商人の理念を表した言葉で、暴利をむさぼらず、良心的に、そして勤勉に商いをした近江商人の姿勢が示されています。



五個荘の街並み




舟板塀
蔵の白壁を強い雨から守るため、びわ湖に浮かんでいた古い舟板を塀に使用しています。


五個荘の歴史ある美しい街並みでは、多くの映画やドラマが撮影されています。




弘誓寺
那須与一の孫「愚咄坊」(ぐとつぼう)の開基と伝わる真宗大谷派のお寺です。


瓦には那須与一にちなんで扇の紋が・・


お食事は自由昼食だったのですが、あまり時間もないため、簡単に食べられるめん類の店にしました。


お店の中には川戸(かわと)がありました。
川戸とは、屋敷内に水路を引き込み、屋根をかけ、洗い場となっている所です。
魚も飼えるし、防火用水の役目もあります。


店内は古民家風で、どこか懐かしい風情があります。


一番早く出来るものと聞けば、やっぱり「ざるそば」という答えが返ってきます。


この箸置き・・ちょっとおしゃれですね。


やっぱり手打ち麺は美味しいですね。
しっかりこしがあって、めんつゆとの相性もよく、あっという間に完食です。

・・時間があれば、もっと食べたかった・・

お会計は700円也。

五個荘には、藤井彦四郎邸など4軒の近江商人屋敷と近江商人博物館などがあるのですが、今回は時間の都合上、街並みを見ただけで通過しました。
また機会があれば、訪れてみたいと思います。

さて、再びバスに乗り、甲良町へと向かいました。

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今夜、2年ぶりに野洲川花火大会が開催されました。






会場の野洲川運動公園まで歩いて20分くらいですが、無精をして屋根越しの花火を見ています。





でも、自宅から見られるって、いいでしょ?
びわ湖花火大会やPL花火のような派手さはないけれど、静にゆっくり見られます。







わずか45分間の花火だけれど、十分に納涼気分を味わいました。

これから夏本番。花火の季節です。

滋賀県で開催される花火のスケジュール

8月1日 19:30〜20:30  彦根大花火大会        
8月1日 20:00〜20:30  おごと温泉納涼花火大会   
8月6日 19:30〜20:15  長浜・北びわ湖大花火大会 
8月8日 19:30〜20:30  びわ湖大花火大会
8月17日17:00〜21:30  船幸祭・瀬田川花火大会 

花火大会がめじろ押しですね。

ゆかたを着て、うちわをもって、花火大会に出かけましょう。
 

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安土町にある教林坊は、推古13年(605)聖徳太子の創建と伝える古刹です。

総門



寺名の「教林」とは、太子が林の中で教えを説かれたことに由来するそうですが、なるほど奥深いお寺です。




書院


書院から見える庭園は、小堀遠州の作といわれる桃山様式を象徴する池泉庭園です。
枯れ滝、鶴、亀などの巨石を用いて豪快に表現されています。

太子の説法岩
ここに太子は立って?いや座って?説法をされたのでしょうか。


太子の説法岩の前に、鶴、亀の岩があります。
鶴も亀も太子の方を見ています。
 
そしてカエル岩。なるほどカエルの形をしています。


書院の中には、聖徳太子像がありました。



書院は江戸時代前期に建てられたもので、ヨシ葺きの合掌造りのようになっています。
急勾配の階段を昇ると、屋根裏が見えてきました。

屋根裏


屋根裏には大黒天が祀られていました。


なぜか籠がありました??





さて、お庭に出てみましょう。

お庭の太子説法岩の下に赤川観音があります。
この霊窟の中に、ご本尊とされる太子自作の石仏があります。別名「石の寺」と呼ばれる由縁です。

ご本尊は霊窟の中におられるので、その前にある本堂はガラス張りとなっていています。


そして水琴窟
この涼感のある音色がたまりません〜



そしてお庭は、さらに後方の山を歩いて高い位置からも鑑賞できるようになっています。

巨石がたくさんあって、豪快な眺めです。



この教林坊の一番の季節は、やっぱり秋の紅葉でしょうね。
私も数年前に来たのですが、それはそれは素晴らしい紅葉が見られました。
11月中旬から12月上旬までライトアップも開催されるそうです。

教林坊の拝観料は500円
なお、拝観日やアクセスについては教林坊のwebページでご確認ください。

教林坊のwebページは⇒http://www.d1.dion.ne.jp/~marche/kyourinbou/

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安土町常楽寺には、近江源氏佐々木氏が氏神として崇敬した「沙沙貴神社」があります。
佐々木氏を祖とする六角氏や京極氏の庇護を受け、天保年間に社殿が焼失した時には、丸亀藩主になっていた京極高明が再建しました。


この鳥居の後方にある灯籠も京極氏から寄進されたものです。



楼門

社紋も佐々木家の家紋である四つ目結いが掲げられています。


 
拝殿




本殿




沙沙貴神社の創建は不明ですが、古くから沙沙貴33郷70余りの村の総鎮守として広く信仰されてきました。
社号の沙沙貴は少彦名神に起因するといわれています。




近代に入っても、その後裔である三井家や乃木希典などからも崇敬され、数多くのゆかりの品々が奉納されています。

乃木希典お手植えの松


乃木希典寄進の灯籠




そして毎年初夏に、ローカル新聞の話題となる「ナンジャモンジャの木」

滋賀県に住む人なら、「沙沙貴神社」と問えば「「ナンジャモンジャの木」と答えるでしょう。
それくらい有名な木です。

5月の中旬には白い花をいっぱい咲かせ、遠目には粉雪が積もったように見えるそうです。

そんな季節に、また訪れてみたいと思いました。



沙沙貴神社の住所:安土町常楽寺1
JR安土駅から徒歩15分
普通車40台の大きな駐車場があります。

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金勝山浄厳院と聞いてもピンときませんが、「信長の安土問答の舞台」と聞けば、歴史に関心のある人ならご存知なのではないでしょうか。

元は佐々木氏の菩提寺「慈恩寺」でしたが、元亀の争乱などで廃寺となり、天正5年、その跡地に信長が「浄厳院」を再興しました。


楼門・・雨でカメラのレンズが濡れました。

この楼門は、発掘調査の結果「慈恩寺」の頃からあったのではないかとされています。
滋賀県内で最大の楼門、国指定重要文化財です。


本堂

本堂は、再興当時に近江八幡多賀村にあった興隆寺弥勒堂を移築したもので、室町時代後期の建物とみられる大変貴重なものです。
国指定重要文化財になっています。

堂内には平安時代の作である「本尊阿弥陀如来像」があります。

また内陣には「信長公の木造」もあります。
これは江戸時代後期から明治時代の作とされています。
明治14年に台座を作るという記録が残っているそうですが、その年はちょうど信長公の三百回忌にあたります。

堂内は撮影禁止なので、写真はありません。



鐘楼

切石三段積基段の上に、袴腰付(はかまこしつき)の本格的な建物です。
江戸時代中期のものとみられ、安土町指定文化財になっています。


不動堂


江戸時代中期、元禄16年に建てられたものとされています。
正面の戸は桟唐戸両開き(さんからとりょうびらき)両脇に火頭窓(かとうまど)があります。
・・・単語が難しいですが、ひとつひとつ勉強だと思って、頑張ります(笑)

さて天正7年(1579)、この浄厳院本堂を舞台にして法華宗と浄土宗の宗教論争が行われました。
信長公記にみられる「安土問答」です。
結果は信長公の裁定により浄土宗側の勝利とされ、喜んだ浄土宗側の聴衆は、法華宗の僧侶の袈裟を剥ぎ取り、鉦、太鼓などをたたいて喜び、威勢よく念仏を唱えたといいます。

それが今も「かちどき念仏」として、毎年浄厳院の秋の十夜法要で勤められるそうです。

本来念仏というのは厳粛なものですが、この「かちどき念仏」は大変威勢がいいとか。
一度聞いてみたいものですね。

この浄厳院はJR安土駅から徒歩10分です。
普通車5台分の駐車場もあります。







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